子供達の未来

未来へはばたく君たちへ贈る
ミネルヴァの想い

未来へはばたく
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人はなぜ「勉強」をしなければならないのか

人はなぜ「勉強」をしなければならないのか

いろいろな答えがあると思います。
でもひとつの答えとしては「教養を得るため」であるといえます。

世の中ではいろいろなことが起こります。
みなさんの身の回りでも大きなことから小さなことまでいろんなことが起こっているでしょう。

そのたびにみなさんは、その起こった出来事を認識し、分析し、判断し、対応することを迫られます。
進学や就職、恋愛や結婚、社会問題や人間関係など、それ以外にも人生はあらゆる出来事の連続です。

教養が深い人はなにか出来事が起こった際に、その出来事に対してより広範囲に、
より深く、また多面的に、ときにはその出来事を裏側からも見ることができます。
そして、その多くの情報からより正しい解答に近い判断を下せるようになります。

逆に教養の浅い人は、なにか出来事が起こった際に、その一部分を見ることしか出来ず、
あとの見えない部分はすべて自分の都合のいいように解釈し、勝手に物語を作りあげてしまいます。

災害や社会問題が起きた際に、
パニックに陥ったり極端なことや刺激的な言葉で
人々を扇動しようとしている人にこのタイプが多くみられます。

また教養が浅いと、起こったことに対して自分で判断することが出来ず、
メディアや周りの人の言うことを鵜呑みにすることしかできず、
デマやフェイクニュースに踊らされ、ときには詐欺に騙されてしまうことになりかねません。

「教養」は自分の人生の方向性を指し示してくれる羅針盤

「教養」は自分の人生の方向性を指し示してくれる羅針盤となるのです。
なにか大きな困難を迎えた時でさえも、教養が備わっていれば余計な情報に惑わされることなく、
社会に出回っている様々な情報は参考として活用しつつ、
自分で進むべき方向を判断していけるようになります。

どうすれば「教養」は身につくのか

では、どうすれば「教養」は身についていくのか。
ひとつは「勉強」をすることですが、それだけではありません。

たとえば、旅をすること、人と話すこと、本を読むこと、
いろいろなことを経験してみること、ときにはひとりになって思い耽てみること。

これらのすべてが、自分の今までの常識の殻を破り、
視野を広げ、思考を深め、自分が今いる、
そしてこれから目指すべき世界を広げていくための行動です。
これらのひとつひとつが自身の教養を形作っていきます。
教養は一朝一夕に身につくものではありません。
さまざまな経験と地道な生活の努力の中で身につけていくものなのです。

「勉強」とは何か

あらためて「勉強」は「教養」を身に付けるためのひとつの方法であると説明しました。
では、「勉強」とはいわゆる学校の勉強科目である
「国語」「算数(数学)」「理科」「社会」だけを指すのでしょうか。

もちろん他の科目も含めて、それらの本質を理解することも重要です。
ただ、「勉強」とはそれだけではなく、例えばみなさんがこれから身に付けていくべきは、
「コミュニケーション能力」「創造力」「問題解決能力」
「感受性」 「忍耐力」 「道徳」「仁愛」など、ほかにもいろいろ挙げられます。

いわゆる「国語」「数学」「理科」「社会」ができいい大学に進学できたとしても、
それだけで教養があるとはいえないのです。

「勉強ができる」とはあくまでも「教養がある」ことのひとつの要素にしか過ぎません。
ただし、「勉強ができること」は確実に「教養があること」のひとつの要素でもあります。

「勉強ができる環境」は恵まれている

「勉強ができる環境」とは実はとても恵まれた環境です。
その環境を活かすか活かさないかはみなさんの自由に委ねられています。

これからの人生、なにかの出来事に対して自分で判断を下していけるように、
そのための教養を身に付けていくか。

それとも、その都度メディアや周りの意見を鵜呑みにして右往左往し、
なにかに依存したまま社会への不満やグチをSNSに吐き出すことでしか、
自分の存在を実感できない人になってしまうか。

未来へはばたく君たちへ

自分の毎日の地道な行動が、そのまま自分の将来に繋がっています。

もしあなたが現状、勉強できる環境にいるのであれば、
その恵まれた環境を活かすか否かはあなたの自由に委ねられています。

「勉強すること」にはどういう意味があるのか。
なぜ人は「勉強すべき」なのか。

これもいい機会だと思いますので一度自身でも考えてみてください。